朝から雨の一日。
朝、ゴミをだしそびれる。
もう酒のんで寝ていたい。
南国の2月には珍しい結構な雨。
雨の中をコゲラ(小型のキツツキ)が2羽でやってきて、カイガラムシがたくさんついている庭の柿の木をつついては、ビィ、ビィ、と鋭い声を放っている。
雨の日は天敵が活動しないのか、そういえば、雨の日のほうが野ネズミも活発だとかって話があるとかないとか。
ぼーっとしていたら、ふと思い出した。
もう随分と昔、小生高校生の頃、放課後に若い国語のセンセイ(特撮好き)と特撮映画について雑談というか教えてもらっていると(「
戸川純 + 巻上公一がムー帝国の歌を歌っているうしろのコーラスの一人だった」とかを聞いたかな)、なんとなくちらっと若い彼が「さんせう太夫」についてつぶやいていたのを、ふと思い出した。
ので検索してみた、四半世紀遅れで。
16歳くらいの少女・安寿に対する拷問がヒドイ、太夫に対する仕置きがヒドイ、とかいう記憶。
(物語の中の拷問の内容について知りたい人は別に検索を。)
数年後、CGという魔術的な輝きをまとった新技術が花開くのを私たちはカケラも気づいてもいなかった。
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ヤフー知恵袋より
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1333900993
江戸時代の説教節「山椒太夫」の粗筋はどんなものであったか、ご存知の方お手数で...
k_yamato555tonyiさん
江戸時代の説教節「山椒太夫」の粗筋はどんなものであったか、ご存知の方お手数ですが、教えてもらえますか。(森鴎外の作品ではないもの) よろしく。
補足
無論 URL で十分です。
ベストアンサーに選ばれた回答
yoh1kojimaさん
説教節は「さんせう太夫」。山荘、三荘、散所との説あり。新潮古典集成を底本とした。
丹後の金焼地蔵の由来。その本地は岩城の判官・正氏。彼は筑紫に流刑となった。
奥方と姫(安寿)と若(厨子王丸)は、成長した厨子王が父の流刑を知り、許しを求めるため都へ上ろうと言い出したことから乳母も連れて都を目指す。
越後の直江浦で人売りの横行で泊めてくれる家がなく、橋の下で夜を過ごそうとする。
人売りの山岡太夫は、宿を探していた一行を捕まえようと跡を追って自分の家に連れ帰る。都に行く便船に乗せてやるとだます。一行を乗せた舟は、沖で二艘の人買いの舟に落ち合う。奥方と乳母を一方の舟に、安寿と厨子王はもう一方に売られてしまう。別々の舟で北と南に別れていく親子。乳母は入水自殺し、奥方も死のうとするがかなわず、蝦夷が島に売られてしまう。
一方の姉弟は、丹後の由良のさんせう太夫に売られた。太夫は、安寿に潮汲みを、厨子王に柴刈りをさせる。
働いたことのない姉弟を、里人や海人たちが気の毒がって助けるが、厨子王はかえってノルマを増やされる。安寿は、太夫の次男・二郎は慈悲深いと聞いて、二郎に頼んで厨子王のノルマを減らしてもらおうとするも、三男・三郎は姉弟を助けることを禁止する。厨子王は自害しようとし、それを聞いた安寿も自殺しようとするが、同じく太夫の使用人・伊勢の小萩が仕事に慣れるまでは自分が二人の姉になって助けるといって、止める。
寒い小屋で年越しをさせられ脱走の相談をした姉弟は、三郎に立ち聞きされたため、太夫の使用人の印として焼きごてをあてられる。さらに、太夫は二人を湯槽に閉じこめ食事も与ない。
ところが二郎がひそかに食事を運んでやり、姉弟は生きながらえる。正月16日になってまだ生きていた二人をみた太夫は、再び仕事をさせようとする。安寿が二人とも同じところにやってくれと頼んだので、太夫は、安寿の髪を切って逃げられないようにし、姉弟を柴刈りにやる。
山で姉弟がお守りの地蔵菩薩をみると、姉弟の身代わりになった焼跡があり、姉弟に火傷はなかった。しかし、三郎がそれを知れば再び焼き印をつけられると考え、安寿は厨子王に地蔵を渡すと、寺があったら頼れと逃がす。
安寿は太夫のもとに戻り厨子王は迷子になったというが、厨子王の逃亡先を白状させようとする太夫に拷問にかけられ、ついに三郎に殺される。
厨子王は姉のいうとおり国分寺に逃げ込み、聖人は彼を皮籠に隠して棟から吊り下げた。
追っ手が寺を家捜しするが見つからない。太夫は聖人に誓文を要求し、聖人が誓文をずしていると、三郎が皮籠に気が付く。長男・太郎は止めようとするが、かまわず三郎は皮籠を調べる。だが入っていたのは輝く地蔵菩薩だった。光に目を射られた三郎は転げ落ちて引き揚げる。
聖人は皮籠から出てきた厨子王から身の上を聞くと、そのまま厨子王を皮籠に入れ、古びた金焼地蔵を彩色のため都にもっていくと称して、ついに都に届ける。聖人は丹後に帰るが、厨子王は南北天王寺で高僧に茶の給仕に雇われる。
さて、大臣・梅津の院は跡継ぎがなかったが、夢に清水観音が出て、南北天王寺にお参りせよといわれる。天王寺でもてなしを受けた梅津院は、稚児たちの末席にいた厨子王の異相に気づき養子にしたいと言い出す。はたして厨子王を風呂に入れ美服を着せると、優れた容姿となった。
厨子王は、梅津院にかわって帝に出仕する。卑しい出身とみる他の大臣たちに、正氏の子と名乗り出る厨子王。帝は気の毒に思い、奥州五十四郡と日向を与えるというが、厨子王は丹後の国を望み、丹後もまた与えられた。
筑紫の父に迎えをやり、丹後に入部した厨子王は、国分寺を宿とする。国主が寺を宿にする理由がわからず逃げていた聖人が捕まえられると対面し、安寿が殺されたことを知る。
厨子王は、太夫を呼び出す。子どもたちと連れ立ってきた太夫に厨子王は正体を明かし、安寿を殺したことを責めるが「仇を慈悲で報ずる」といい、大国が欲しいか小国が欲しいかと訊く。三郎が大国を望んだので、「広い黄泉の国をやる」といって、太夫を鋸びきの刑に処し、子どもたちに鋸をひかせる。太郎、二郎は許してやり、三郎にひかせると、106回めに首が落ちた。三郎も、やはりノコギリ引きの刑にした。かつて助けてくれた太郎と二郎には丹後半国ずつを与え、聖人は命の親とし、小萩は姉とした。
そして、厨子王は蝦夷が島で母を捜した。盲女が粟にたかる鳥をおって「厨子王恋しや、安寿恋しや」と謡うのを聴いた厨子王は盲女に抱きつく。厨子王が地蔵菩薩を母の目に当てると視力が回復し、都に連れ帰る。
山岡太夫は柴漬けの刑とし、乳母のためには寺を建てた。正氏も都に上り、みなで喜び、安寿の菩提を弔うため地蔵は丹後に安置した。それが今の金焼菩薩である。そののち、厨子王は父母や聖人、小萩と陸奥に下り、もとの家のあとに屋形を建てて栄えた。
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本日のわが家の作業用ヘビーローテションは、”さよならポニーテル”の「ナタリー」。
家人が朝から、これのハミング。
デジタルの画を上手にフィルムっぽく加工していて上手、ていう感想。