仕事電話の合間に相手が一瞬沈黙した。
『・・うしろでヒメハルゼミたくさん鳴いてますねー。いいとこ行ってはるじゃないですか。』
え?そんな音まで聞こえるの?
生物屋は恐いなぁ。
標高高い場所にいることが読まれている、うーむ。
いえいえ、労働がんばってますよ、もう、草露と泥と山道でぐったりですけども、ありがたいことです。
森の中を歩いていると、見たことも聞いたこともないファンタグレープに擬態した空き缶「チェスタ」が目に留まる。
ラベルに麒麟の文字、製造年は読めない。
wikipediaによると1970年〜1979年?に販売。
ファンタと間違えるよ、コレ。
大手企業もやるねぇ。
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夜、映画『スーパー・エイト』を観た。
舞台は1979年、劇中のテレビでスリーマイル島原発事故をやっているころ。
8ミリ映画を作っている田舎町の少年たちが、軍の列車事故を目撃し、その日から町に不思議な事件が起こって行く物語。
この映画は、端的に言うと、別の切り口の「E.T.」。
あちこちに「E.T.」的なモチープやプロットがちりばめられていて、ついつい「E.T.」を思いだしながら面白く観てしまう。
例えば、年配の生物教師はあきらかにエリオットだし、その教師の悲しい行く末は「E.T.」のエリオットをなぞる。
「グーニーズ」「未知との遭遇」「ジョーズ」「ランボーっぽい軍人」など1980年周辺の映画を思わせる設定も数多い(数多いといえば聞こえがいい、いやー、相当好きなんだろうなぁ、監督が)。
ただ、少年たちも親も心に悲しみを抱え、そしてもう一方のアレも悲しみを抱えているのが、現代の映画である。
そしてこの「E.T.」は、あの「E.T.」とは異なり神秘的な能力で少年たちを助けたりしない。
終盤の悲しみを抱きしめながら生きていこうとする意思には、少し涙が出た。
サスペンスや町が戦場と化すようなシーンの中を少年たちが走り抜け、マジェスティックやファンタジックな力無しに心の成長というか魂の救済に至る流れにもっていったのには、正直感心した。
近年のハリウッド映画って、すごいよね。
傑作ではないかもしれないけども、いい作品だと思う。
特にボンクラ・ティーンズ残党は観た方がいいでしょう。
エンドクレジットのあの映画もちょっと涙を浮かべながら笑った。
映画『スーパー8』予告
ところで、どうでもいいはなしなんだけど「スーパー8」は8ミリ・フィルムのうち、コダックが販売していた四角いカートリッジのフィルム。日本では、このスーパー8の他、フジフィルムが販売していた「シングル8」という『B』の文字の形をしたカートリッジのフィルムが多かった。高校の頃、コマ撮りがやってみたいなぁ、と思っていた。卒業した春休みにたまたま行った神戸元町のカメラ屋で「スーパー8」の中古カメラを買った。現像のこととか分からずにとにかく衝動的に買ったがカメラは面白かった。
学生になって8ミリを触っている人達に教えてもらうと、ついその少し前にコダック8ミリは日本でのサービスから撤退して「スーパー8」での現像にはとにかく時間がかかるようになったことが分かった。コダックの方が暖色系などの発色が良いと言うような話で、「スーパー8」にこだわる方もいらっしゃった。その方は志しの高い方で、いまでは作る側として活躍されている。
映画を観ながら、あの劇中の黄色いフィルム・カートリッジ、そうそうワタシにも輝いていた感じがしたなぁ、と思い出した。
ワタクシ8ミリ、シングル8での断片(こういう学生が作りそうなやつ、ってなカンジのお目汚しですが懐かしさに免じて何卒ご容赦を。ストーリーはご自由にご想像下さい)。
コチラはトモダチと高校生のころ撮ったやつの断片。以前ごく一部の方に好評だったのでついでに。
農村に1軒のレンタルビデオ店で借りたVHS-Cのカメラ。
で、今日もやっぱり観て思うのは、邦画の良くないのが時代のニーズを考えてないところ。
例えば、海外の映画祭で評価された映画の多くは、今日汎世界的に人々が抱える苦悩だったり悲しみだったりをテーマとし、それに光をさすようなものだったりするワケです。そういう場所に、相変わらずの時代劇やぬるい家族話みたいな随分とドメスティックで小さな話を持って行っても、そりゃぁ評価されないと思うんだけど。
どうなのコクリコ坂やる気あるの?
結論、トランスフォーマーが楽しみ。