寝床で鳥を見る

(なまけでこ増量中の備忘録的日記)

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2020.05.01 Friday

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2011.03.31 Thursday

メモ:都道府県別環境放射能水準調査結果

放射線のモニタ結果のサイトをいくつか拾てみました。
どれも、非常に見にくいです。
それぞれ組み合わせねばよくわかりません。
なんでこんなのしか出来ないのか、全く意味不明。
pdfで出すのなら、エクセルの経時変化データもつけてくれればいいのに。

文部科学省の都道府県別環境放射能水準調査結果(長所:無し。短所:目標とするデータがどこにあるのか、わかりにくい。また、図もわかりにくい。とにかく探しにくい見にくいという、上から目線のお役所仕事。視覚的にイマイチ、なぜ経時変化のグラフをつけないのか?既にあるの?)
http://www.mext.go.jp/a_menu/saigaijohou/syousai/1303723.htm
福島周辺のモニタリングデータ
http://www.mext.go.jp.cache.yimg.jp/a_menu/saigaijohou/index.htm


関東各地の環境放射能水準の可視化(長所:アニメがぱっとみ楽しい。短所:数値が小さいのと、数値の違いの程度とアニメの違いの程度が不明で逆に把握しにくい。アニメーション表示にこだわり過ぎて誤読しやすくユーザーにフレンドリーでない。データ更新が遅い。前日など過去のデータとの比較・変化の確認ができない。)
http://microsievert.net/


goo全国放射線量マップ(長所:全国をカバー。短所:とにかく見にくい。グラフはいいが、データ更新にムラがあり異常に古いデータもある。その点で一覧できる地図化した意味が死んでいる。)
http://radiation.goo.ne.jp/


2011.03.31 Thursday

カニカニ記念日  スピッツにぐったりー祈っくれ!ただし見えない所で!

原発事故、溜まり水処理難航で作業停滞。
サルコジ大統領来日。
フランスの原子力会社社長も来日で協力を表明。
******************************************************

朝、家人が「今日はカニ記念日」などと言っている。
数年前、あれ?去年だっけ?
まぁ、以前の今日3月31日の朝、起きたばかりの家人が、「寝室の中にカニが歩いている、ベッドの下に隠れたようだから探しなさい!」とこれまた起きたばかりのワタシに命じた記念日だそうである。
宮沢章夫か?(宮沢章夫による「部屋の中にカニが歩いている」というエッセー文章が以前にあった。)
えらくカニにこだわっているので、ついにどうにかなったか、はたまた、カレンダーを間違えているのかどちらかだと思ったが、放置するとうるさくて大変だったので、ベッドの下を探したのだった。
その様子を見て家人が言った。
家人「今日は、何月何日?」
わたくし「3月31日、エイプリルフールの前日」
家人「・・・・・・・・。」
あぁ、こんなのばっかりなのね、ヒトと暮らすって。

午前中、通院。病院も大にぎわい。
午後、今日も家のこといろいろ。
今日のマンモスの群れ、パオパオ。


(以下、備忘録なので読まなくてOKです。)***********************************************
午前、スピッツ的なイベントのご案内を耳にし、あまりにばかばかしくて悪いけど笑ってしまった。笑ってしまうのだけれど、そのスピッツたちの現実認識の姿勢をちょっと考えると、非常にぐったりしてしまう、神さま!ヘルプ!
ここで言うスピッツは、スピってるヒト、スピリチュアルに傾倒したヒトたちを指しています、もちろん、一般的な呼び方ではないようです。
イベントの内容は、「原発事故に皆で一斉に祈りを!」というものなんだけど、案内によれば原子炉内の水に謝るそうです。「福島原発内の水たちよ、辛い思いをさせてごめんなさい。我々を許してください。そして有難う。愛しています。」という意味不明さ!狂ってる。
祈りの対象が被災された皆さんや作業されている方々、あるいは、汚染される環境中の声なき生き物たちだったら、ワタシも少しは感じるところがあったのだけれど。
「祈りの波動で、高濃度に放射能を含む水を、ポジティブに変換させましょう!」
汗たらー。なんのために沢山の人達が避難や事態の収束へ苦闘しているのか。

「みんなの願い・祈りには力があると信じています。」とある人はいいます。
はい、そうかもしれませんが、その今回の「力」とは一体なに?
誰か困ってる人や助けを求めている人の為の祈りではないでしょう。
現地で苦しむ人の誰も励まさず、誰も力づけないその祈りや願い。
では、誰のための祈り?誰のためにその努力をするの?水?水に祈ると誰が満たされるの?
その「力」を具体的に想像してみたことは?。
その「汚れていない祈り・思い・願い」自体が我欲のカタマリで、そもそも汚れているんじゃない?
そんな都合のよい力があるのであれば、日本は第二次世界大戦だってもちろん勝っているし、ワタシはものすごくモテモテだし、世界はとっくに平和になっている。
想像力の欠如、そして独善。
自分の行為がどういう効果・結果をもたらすのかの想像すらない。
「ぱっと聞こえがよい愛とか優しさとか願いとか汚れなきとかいう良いこと」がまぶされていれば、「よきこと」的なイメージでコーティングされていればオーケーだと思っている。安全圏から無意味で無神経・無責任な自己満足の行いを投げつけて胸を張っている。バカじゃないか。効果が測れない目標・目的に対する行いなんか、やっても意味が無い自己満足で、周囲から見れば、ただのノイズである。しかし、当然それが許されると思っている思考の甘さがにじんでいる気がする。それを斜め上のほうから見下ろすような視線で、周囲に押しつける無神経に気づかないのにも、疲れる。
孤島に行け、そこで祈れ。
人がいない場所で倒れた木のように勝手にやってくれ。

愛とか優しさとかいう言葉を簡単に軽く使う人ほど怪しいと思う。
子供と犬が嫌いな人間に悪い人はいないと昔、言った人がいるらしいが、よっぽどこちらのほうが仲良くなれそうだよ。

で、そういう検索で拾ったヒーリング系の方のとあるブログを読んでいると、こんな文章があった。
『(前略)かいつまんで紹介するが、福島原発に対して、愛と感謝を花束のイメージと共に贈りましょう!という呼びかけで、プルトニウムにも意識があり、今まで私たちのためにエネルギーを供給してくれたことに深く感謝し、とても淋しがっている原発の原子炉に愛の祈りをしましょう!という内容だった。
(中略)私たちが、電力を好き放題に使って原発のお世話になりながら、爆発した原発そのものを憎むのは筋違いであろう。プルトニウムにも意識があるのだったら、私も祈ろうと思った。祈っていたら、原発さんから「ありがとう」とお返事をもらったような感覚がやってきた。ごめんね、ごめん、そして本当にありがとう・・・。涙がこみ上げてきた。(中略)球上に存在する全ての存在、人間だけでなく、動植物などの生き物や自然に対しても自分ごとのように思える、心から全ての存在に愛を感じることの出来る、そんな人間に成長していきたい。おっと、生き物だけでなく、原発にだって!地球上の全ての存在が、心から笑って暮らせる、そんな日が早く来ますように!』
くくく、おもしろい。
映画『マニトゥ』を思い出しましたよ、万物に霊が宿り、古代のインディアン伝説の悪霊と最新コンピューター(といっても1970年代のパソコン誕生頃の)霊が闘う!みたいな。
お祈りで原発の霊にプルトニウムの霊を鎮めるわけです。
半減期長すぎだからたいへんだってわかってる?
あ、放射性物質をポジティブに変換ですか。。

ついでなのですが、「水にきれいな言葉をかけるとほにゃらら」と主張する今日のイベントの発起人の著作「水からの伝言」については、以前、一瞥してうんざりしたのだけれど、だいぶんダメな感じである。
wikipediaでは、
『ただし、本書に用いられている写真は記述内容に沿う結晶を選んで撮影したことを江本本人が公言している。』
『江本は『AERA』のインタビューに対して、『水からの伝言』のことを「<<ファンタジー>>あるいは<<ポエム>>である」、即ち 「(科学ではなく)物語である」 と述べた。』

てな案配。
なんでこんな誠意のない人の主張をみんな持ち上げるのか、節穴なのかバカなのか。

夜、家人がネットを見ながら言った。
「福島の30km地点の放射線量の数値が、昨日の3倍だ」
祈り効果?
いや、そんなことはないぞ、データ拾い間違い。
でも、常に現状に目を向けることは、大切よね。
東電の原発対応ニュースを見ながら、家人は今日も土佐弁で怒っている。

2011.03.28 Monday

メモ:水木しげる on The New York Times

3月21日のThe New York Timesの日曜版に水木しげるが描いた震災画が掲載されたとネットでみました。
(以下、引用)
PRESSPOP JOURNAL:今回の掲載を橋渡ししたPRESSPOP GALLERYという版権マネージメントやプロデュースを行う会社のブログ記事
『3.21.2011The New York Timesの日曜版
http://presspopinc.blogspot.com/2011/03/new-york-times-op-ed-page-this-sunday.html
先週の水曜日の深夜にThe New York Times紙のアート・ダイレクターから連絡があり、水木しげる氏に『今回の日本を襲った地震と津波による大災害についての水木さんの個人的な考察』を絵で描いてもらえないでしょうか?と言うオファーがきました。
そして、2日後の金曜日夕方、絶対に水木さんしか描けないガチンコの作品がupしました。
そして、日本時間の今日、アメリカのニュース・スタンドで、水木さんが描いた力強い作品が掲載されたThe New York Times紙が発売になりました。』

2011.03.28 Monday

メモ:「19兆円の請求書」内部文書。わかりやすい核燃料サイクルの流れと問題点、政府電力のこだわりー経済産業省内部黙認の快文書

先日、知人と雑談したのだが、知人は原子力発電プルサーマル事業と青森六ヶ所村の核燃料再処理施設稼働による環境汚染に不安を感じており、方向転換はどうして視野にないのか、なぜそこまでこだわっているのか理解できないと言葉にした。
ワタシも、それについては新聞情報をかする程度の知識しかないので、よくは知らないのだけれど、なんとなく1970年代当時のエネルギー危機のトラウマと産業界の強い要請、利権構造、社会倫理観や世代間倫理観の欠如した問題のある職業使命感などが、がっしり根をおろしているのではないか、と感想を述べた。

しかし、日本の原子力事業の大きな流れである核燃料再処理事業が確かによくわからない。
なんだろうなー、と思っていると、その流れと国・電力事業者のこだわりと問題点を俯瞰したわかりやすい文書が「快文書」として経済産業省内にまわっているという記事があった。
おぉ、この資料はわかりやすい。
文書「19兆円の請求書」http://bit.ly/ed9f90
パワーポイントかワードで作ったのかな。
見てみるとパワーポイントで2004年2月に作成、Mac版でPDF化の情報がついている。
こういうわかりやすい資料を作成できる能力っていうのは、さすがに優秀。
さすが官僚か。その能力をいまこそよのなかのためにいかしてくらはい。

以下より。
河野太郎のブログ 原子力政策の分かれ道 2011年3月27日 16:19
http://www.taro.org/2011/03/post-964.php

一部引用
経産省内部でも、事務次官黙認の下、今でいう「ジャスミン革命」の芽が生まれ、「19兆円の請求書」( http://bit.ly/ed9f90 )というタイトルの快文書が世論に訴えるために作成された。
残念ながら、マスコミはこれを黙殺し、自民党内でも政策展開の議論は広がらなかった。』

2011.03.27 Sunday

シカ・カモシカ調査に参加、カモシカ見れず。調査の人によって迷い犬(猟犬)が救助される。








終了後、集合場所に到着すると、朝はいなかった犬くんが日向で休んでいた。
山中で迷い犬くんが見つかり、一緒に下山したそうだ。
餌や水ももらったらしい。
猟犬で、首輪に名前と住所、連絡先、電波発信器が装着されている。

ぐったり。
目も落ち窪んですっかりやせてアバラが見える。
あの寒い山の中で、何日を過ごしたのか。

持ち主に連絡して里で放されたらしい。
帰りのバスの中から見えた。
犬くんうれしそうにシッポを振りながら、村の道を駆けていた。

2011.03.27 Sunday

合掌

NewYorkTimesの最近の被災地の写真
http://www.nytimes.com/interactive/2011/03/12/world/asia/20110312_japan.html

2011.03.26 Saturday

早い田んぼで田植えが終わっていて驚いた。

肌寒い朝。
京都はぼたん雪らしいというのに、高知はそれなりに温暖。
朝から、トラネコどんどんどんと家人とコマ撮り作業など。
午後、トラネコどんをご城下に送ってから、開催中のバードカービング展をのぞいて(高知の奥様方の原子力災害についてのキツイ雑談が聞こえてシオシオになる)、はなまるうどんでうどんとおでんを食べてから手芸のこまどりで縫い針を買って、水田をまわって帰宅。
水田はあちこち水が入りはじめ、いくつかの田では既に田植えが終わっていた。
早すぎるんじゃねぇの?

タシギがヒルを食べていた。

セイタカシギが来ていた。


あいかわらずのクサシギ。


夕方帰宅。
家人が電話で知人になにかをボヤいている。
何を信じて良いか、わからない、そんな言葉が聞こえる。

メディアで入ってくる情報の何が正しいのかわからない。
そう、様々な情報を裏付ける知識も経験も情報も無い。
意見をもっともらしいと感じても、次に聞いたカウンターの見解がもっともらしければ、それに流れる振り回される。日常の話題にしては高度すぎる内容であり、一次情報(ソース)の確かさの確保さえもあやしい情報ばかり。
どの情報にも一定の距離を置いて、多様な種類の情報に批判的な視点を保つ姿勢・科学的観点で臨むしかない。

レイチェル・カーソンは「センス・オブ・ワンダー」で、『「知る」ことは「感じる」ことの半分でしかない』と言っていたような気がする。そうかもしれない、確かにそうかもしれない。しかし、我々は大人である、支えなくてはならない人だっているはずである。もしも、「感じる」ことばかりに執着して「知る」こと、「知る」努力を疎かにすることはあってはならないと思う。科学知、経験知、いずれにも。
不確実な情報の中で、何かを決めなければならない時に、ダメもとでも少しでも成功するような決定をするためには、そして合意の形成のためには、やはりその努力は必要なのだと信じている。

いつも真理は万人の前に平等である、そして皆が惑っている。

2011.03.26 Saturday

オルネコ:「旅にでるよ」

午前中コマ撮りの「ぺんぎんずめもり」03ー旅にでるよーの巻

2011.03.25 Friday

無題

午後、トラネコボンボン先生がご来宅。
なぜか家人の納品作業が始まり、3人で夜までそれをやる。
なんで?
謎の一日。
夜遅くにコマ撮り。

2011.03.24 Thursday

春がきて移動する動物たち

ここでは先月数匹だったユビナガコウモリが、移動をはじめていて200頭ほどに増えていた。
多くは眠っていたが、数匹はフラッシュでうっすら目を開けた。
まどろみ。

浜の方の田んぼにも水が入りはじめ、繁殖地へ向かうシギが訪れはじめていた。

時間が出来た夕方、河口に先日のオオハムを観に行ったらいなかった。
北へ旅立ったのか。

海の汀近くに、冬鳥のシノリガモ2羽が見えた。
北へ向かう途中だろうか。



海辺の二人。

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