原発事故、溜まり水処理難航で作業停滞。
サルコジ大統領来日。
フランスの原子力会社社長も来日で協力を表明。
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朝、家人が「今日はカニ記念日」などと言っている。
数年前、あれ?去年だっけ?
まぁ、以前の今日3月31日の朝、起きたばかりの家人が、
「寝室の中にカニが歩いている、ベッドの下に隠れたようだから探しなさい!」とこれまた起きたばかりのワタシに命じた記念日だそうである。
宮沢章夫か?(宮沢章夫による「部屋の中にカニが歩いている」というエッセー文章が以前にあった。)
えらくカニにこだわっているので、ついにどうにかなったか、はたまた、カレンダーを間違えているのかどちらかだと思ったが、放置するとうるさくて大変だったので、ベッドの下を探したのだった。
その様子を見て家人が言った。
家人「今日は、何月何日?」
わたくし「3月31日、エイプリルフールの前日」
家人「・・・・・・・・。」
あぁ、こんなのばっかりなのね、ヒトと暮らすって。
午前中、通院。病院も大にぎわい。
午後、今日も家のこといろいろ。
今日のマンモスの群れ、パオパオ。
(以下、備忘録なので読まなくてOKです。)***********************************************
午前、
スピッツ的なイベントのご案内を耳にし、あまりにばかばかしくて悪いけど笑ってしまった。笑ってしまうのだけれど、そのスピッツたちの現実認識の姿勢をちょっと考えると、非常にぐったりしてしまう、神さま!ヘルプ!
ここで言うスピッツは、スピってるヒト、スピリチュアルに傾倒したヒトたちを指しています、もちろん、一般的な呼び方ではないようです。
イベントの内容は、「原発事故に皆で一斉に祈りを!」というものなんだけど、案内によれば原子炉内の水に謝るそうです。「福島原発内の水たちよ、辛い思いをさせてごめんなさい。我々を許してください。そして有難う。愛しています。」という意味不明さ!狂ってる。
祈りの対象が被災された皆さんや作業されている方々、あるいは、汚染される環境中の声なき生き物たちだったら、ワタシも少しは感じるところがあったのだけれど。
「祈りの波動で、高濃度に放射能を含む水を、ポジティブに変換させましょう!」
汗たらー。なんのために沢山の人達が避難や事態の収束へ苦闘しているのか。
「みんなの願い・祈りには力があると信じています。」とある人はいいます。
はい、そうかもしれませんが、その今回の「力」とは一体なに?
誰か困ってる人や助けを求めている人の為の祈りではないでしょう。
現地で苦しむ人の誰も励まさず、誰も力づけないその祈りや願い。
では、誰のための祈り?誰のためにその努力をするの?水?水に祈ると誰が満たされるの?
その「力」を具体的に想像してみたことは?。
その「汚れていない祈り・思い・願い」自体が我欲のカタマリで、そもそも汚れているんじゃない?
そんな都合のよい力があるのであれば、日本は第二次世界大戦だってもちろん勝っているし、ワタシはものすごくモテモテだし、世界はとっくに平和になっている。
想像力の欠如、そして独善。
自分の行為がどういう効果・結果をもたらすのかの想像すらない。
「ぱっと聞こえがよい愛とか優しさとか願いとか汚れなきとかいう良いこと」がまぶされていれば、「よきこと」的なイメージでコーティングされていればオーケーだと思っている。安全圏から無意味で無神経・無責任な自己満足の行いを投げつけて胸を張っている。バカじゃないか。効果が測れない目標・目的に対する行いなんか、やっても意味が無い自己満足で、周囲から見れば、ただのノイズである。しかし、当然それが許されると思っている思考の甘さがにじんでいる気がする。それを斜め上のほうから見下ろすような視線で、周囲に押しつける無神経に気づかないのにも、疲れる。
孤島に行け、そこで祈れ。
人がいない場所で倒れた木のように勝手にやってくれ。
愛とか優しさとかいう言葉を簡単に軽く使う人ほど怪しいと思う。
子供と犬が嫌いな人間に悪い人はいないと昔、言った人がいるらしいが、よっぽどこちらのほうが仲良くなれそうだよ。
で、そういう検索で拾ったヒーリング系の方のとあるブログを読んでいると、こんな文章があった。
『(前略)かいつまんで紹介するが、福島原発に対して、愛と感謝を花束のイメージと共に贈りましょう!という呼びかけで、プルトニウムにも意識があり、今まで私たちのためにエネルギーを供給してくれたことに深く感謝し、とても淋しがっている原発の原子炉に愛の祈りをしましょう!という内容だった。
(中略)私たちが、電力を好き放題に使って原発のお世話になりながら、爆発した原発そのものを憎むのは筋違いであろう。プルトニウムにも意識があるのだったら、私も祈ろうと思った。祈っていたら、原発さんから「ありがとう」とお返事をもらったような感覚がやってきた。ごめんね、ごめん、そして本当にありがとう・・・。涙がこみ上げてきた。(中略)球上に存在する全ての存在、人間だけでなく、動植物などの生き物や自然に対しても自分ごとのように思える、心から全ての存在に愛を感じることの出来る、そんな人間に成長していきたい。おっと、生き物だけでなく、原発にだって!地球上の全ての存在が、心から笑って暮らせる、そんな日が早く来ますように!』
くくく、おもしろい。
映画『マニトゥ』を思い出しましたよ、万物に霊が宿り、古代のインディアン伝説の悪霊と最新コンピューター(といっても1970年代のパソコン誕生頃の)霊が闘う!みたいな。
お祈りで原発の霊にプルトニウムの霊を鎮めるわけです。
半減期長すぎだからたいへんだってわかってる?
あ、放射性物質をポジティブに変換ですか。。
ついでなのですが、「水にきれいな言葉をかけるとほにゃらら」と主張する今日のイベントの発起人の著作「水からの伝言」については、以前、一瞥してうんざりしたのだけれど、だいぶんダメな感じである。
wikipediaでは、
『ただし、本書に用いられている写真は記述内容に沿う結晶を選んで撮影したことを江本本人が公言している。』
『江本は『AERA』のインタビューに対して、『水からの伝言』のことを「<<ファンタジー>>あるいは<<ポエム>>である」、即ち 「(科学ではなく)物語である」 と述べた。』
てな案配。
なんでこんな誠意のない人の主張をみんな持ち上げるのか、節穴なのかバカなのか。
夜、家人がネットを見ながら言った。
「福島の30km地点の放射線量の数値が、昨日の3倍だ」
祈り効果?
いや、そんなことはないぞ、データ拾い間違い。
でも、常に現状に目を向けることは、大切よね。
東電の原発対応ニュースを見ながら、家人は今日も土佐弁で怒っている。