映画『アサルトガールズ』が昨日終了していたことに気づいてがっくりする。
レイトショーで映画『Dr.パルナサスの鏡』と『オーシャンズ』を観た。
映画『Dr.パルナサスの鏡』、なかなか面白かった。
「物語を紡ぐことで世界は連綿と続いている、そして想像力により未来が開かれる」とする賢者パルナサスが、狡猾な悪魔の手から一人娘や世界を守る物語、というような壮大なノリではじまる。
のだが、なんだか寄り道が多く話があまり進まない。
しかし、トリックスター「ヒース・レジャー」の登場で物語が動き出すのだが、パルナサスも一座の若いやつもボンクラな娘も小人も知恵が回らずチームワークも無く我慢の聞かない短気な奴らばっかりで、どんどん旗色が悪くなる。
結局、トリックスタ−に頼るしか無いのだが、まるで上映時間を急ぐように、トリックスターもあっというまにボロボロになって、「結局、なんなのよ」みたいな感じになる。
多分、この映画は「壮大なはじまり方をして、へんなオチ方で物語が終わる」落語のような映画なのではないのかと思う。
そうはいっても、いろいろなシーンは楽しいし、特に鏡の中の世界はとにかく楽しい。
悪魔がギリアムの以前の映画「『バンデットQ』(Time Bandits)」の創造主みたいな感じで相変わらず憎めない。
映画『オーシャンズ』、いろいろすばらしいが、一方で映画としてどうなの?といろいろ考えてしまう映画。
冒頭は、海イグアナのシーン。
詳しいことはわからないけど、このシーン、水中の録音がものすごい気がする。
すごい技術なのかな。
全般に映像は素晴らしい。
特にクジラの画像は見て損はないと思う。
一方、音楽と構成は、どうなのかな、と思う。
途中眠かった。
主題は、
・海の生物の多様な様、その驚異の画像
・人間活動が海の環境や生物の生息に危機を及ぼしている
なのであるが、なんというかメッセージに大陸国家的な視点が強いように思う。
映画では、海の生き物の生息に影響する人間活動をほとんど描かないのと、映像対象となる生物が人間活動の少ない領域に住む生物が大部分なので、イマイチそのへんがしっくりしていない。
宮沢りえのナレーションは、内容がちぐはぐで今ひとつ意味不明のものもあるのが気になった。
人と海の関わり、物質循環機能が適切に維持されているもとで生物多様性の保全と高い生産性が図られ両立すること、そのもとで古くから人々の暮らしや伝統文化と深く関わってきており、人と海の自然が共生することができるのだと思う。自然との共生をうたうこの映画には、海辺の人々の暮らしや生業、歴史に少しふれれば、なお良かったのだと思う。
まぁ、そういう映画じゃないんだけど。
でもさ、『人間活動が世界中の海の環境や生物の生息に危機を及ぼしている、でも南極は大丈夫』とか怪しいこと言わなきゃいいのに。南極だって汚染されてるでしょ。
一方、日本人は過剰な漁獲圧で漁業資源の枯渇繰り返しているので、劇中のフカヒレ漁の映像や混獲による海生ほ乳類やウミガメ、大型魚類の死の映像は、きちんと正視すべきとも思う。
以下は、ちょっと脱線気味ですが。
こういう世界最高水準の画像を見せられてもたいして感動しないというのもあります(ですが各クジラは良いです)。結構、テレビで似た映像を観ているしね。
それでは、どんな映像がいいのか?
提起された問題について少し考えようとしても、この映画を観ていても対象とする事象のスケールさっぱりわからない(例えば「地球規模」なのか「海」レベルなのか「国」規模なのか「地方」規模なのか)、どーでもいいけど。画面にロケ地を入れてくれればいいと思う。
もっと「神の視点」「人工衛星の視点」による映像叙事詩ではなく、身近なささやかな生物の方にしぼった方がいいのではないのかしら。
「オーシャンズ」を観ての違和感の有無は、ワタシが今まで見たことのある海とつながっているのか、ワタシが顔をつけ海の中で聞いた音と違和感が無いのか、と自分の中の海のイメージとのマッチングにある。
私たちは自分の目で海をみるべきなのでしょう、きっと。