海辺。
義父と家人の打ち合わせのため、港で開かれている”土曜市”
オーガニックマーケットに運転手のワタクシも来たでござる。
気のせいか、以前来たときよりもテントが増えているような、人も増えちょるような。
ロハスなんて大キライ!を標榜するワタクシもウロウロしてみる、うーん。
左の子供がいい表情、カメラドールだな。
はなればなれ珈琲さんも和気あいあいと大盛況。
なぜか、写真が緊迫した雰囲気なのは気のせいです。
これがいわゆる写真の嘘、しかもカワイイうそ♡というやつですね、きっと。
で、はなればなれのノブくんさん社長に珈琲を頼んで、勝手に新聞と雑誌を借りて読みます。
私は読んだことが無かったのですが、男前ノブくんさんの雑誌でしょうか、開いてみると「世界屠畜紀行」の内澤さんの連載がありました。どうも豚を飼って食べてみる連載のようです。うわー、すごいね、雑誌愛読者のノブくんさんに前号の話とか雑誌の位置づけとか、いろいろうかがってみたかったとですけど、珈琲ファンの女性&男性客が次々いらっしゃって、なかなかおうかがいできなかったのでした。京都に戻って図書館に行く機会があったら漁って見みようかと思いました。
活字を読むのも時間資源と中年のやる気を要するので、なかなか進みませんね。
高知新聞の記事。
なぜか、松方弘樹の巨大マグロ釣果が大きな扱い。
共同通信社系は皆、こうなのかな?
しかし、コレを釣るんだ松方弘樹。
スゲー。
土佐は温暖である。
歩屋の前には来週から12月という今朝も朝顔が咲く。
夏以降、ずっと咲いているのだろう。
土佐の人は、どうも土佐が温暖であるということ、日本の各地が冬は寒いということを知らないのではないかと、時々、感じる。
「日本海側は冬場曇天が続き「弁当を忘れても傘を忘れるな」と称されるほど晴れ間をみることは少なく、冬の荒天時には落雷や竜巻がある」ということも、義父や家人の知人一味と話していても、どうも合点が行かない表情である。
しかし、どうであっても天気が良く温暖で作物が豊かに採れるのは、祝福された土地と言ってもいいと思う。
今日の歩屋。
昨日、収穫したハヤトウリ(ちゃあて=Chayote(チャヨテ))は、歩屋さんでお客様へのお土産に。
若いお客さんも人気。
短冊にして豚肉と炒めてもおいしいですよ。
お昼には、パクチーを多めにしてもらったフォーをいただく
トムヤムスープ、おいしいね、作ってみようかな。
あぁ、そうそう。
この何日かで感じたのですが。
イベントに出店されている手仕事の作家さんとか、あとイベントまわりの人の会話の中で、幾人かの会話が、なんだか通常の会話よりも高い声域+不思議なイントネーションで行なわれているような印象を持った。
例えば、Tさん(仮名)は、私と話すときよりも明らかかに高い音域で不思議な節回しで歌うように関係者と会話してるような印象だった。そのときは、てっきりTさんのパーソナリティーかと思ったのだが、港の土曜市でも似たような話法をとる女性を見た。
興味深かった。
営業上のトークなのか、狭い集団で発達した独特の言い回しやタームなのか、あるいはオープンな集団の中で、自分の属する集団の緊密性を高めるためにあえて奇妙な話法を選んでいるのか。
リズム、小鳥たちのさえずりバードソングのように、同族のグループに伝わる歌なのか。
「かわいい」「ステキ」「いいかんじ」
加えて多用されるこれらのコトバが、それぞれの会話の中で私が思う以上の意味の多様性と機能性を持って頻繁に使われていることが分かった。残念ながら、そのコトバが指す具体的な事象が、メルヘン理系残党の私にはあいかわらずよくわからなかった(正直に言うと「かわいい」以上の意味は、さっぱり分からなかった)。
これについては『お笑いについて「その面白さを説明しろっ」ていう野暮さ』と多分同じものがあるので、私の理解度がステージ上がらない限り足りないのでダメなのでしょう。何のステージかさえも分からないのだけども。
ハーモニー。
ふりかえれば、これは土佐でも京都でも我が家でも同じであって、毎日、彼女彼氏の指すものがなにやらわからんまま会話は進み、ブログは日々更新されるのである。
思い出すと、昔からそうだった、接客で接した市井の人、プライベートで接した普段会わない世間のヒトタチ。
距離が測れず、帰りの電車でグッタリした。
前からそうだった。
11/29追記*************************
文章を読んだ家人が
「悪口を書いているな、でも意味が分からん。ストレートに書いた方がすっきりする」
とコメントをくれた。
いや、悪口ではないです。
世の中のいろんな価値観に「とっさに」あわせることができず、戸惑う毎日お線香は毎日香、てなことです、はい。