寝床で鳥を見る

(なまけでこ増量中の備忘録的日記)

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2020.05.01 Friday

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2012.09.24 Monday

メモ:2011年の日本の地震 分布図


2011年の日本の地震 分布図 Japan earthquakes 2011 Visualization map (2012-01-01)


世界の地震 発生地点・規模・時刻分布図(2011/09/01)

2012.09.17 Monday

memo:村田光平「新たな一大汚染の危機と国・東電の無策ぶり」

メモ

現代ビジネス 永田町ディープスロート 
脱原発を訴える「反骨の外交官」が緊急寄稿! 村田光平「新たな一大汚染の危機と国・東電の無策ぶり」
2012年09月14日(金)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/33518

『去る8月31日、「福島原発4号機の核燃料問題を考える議員と市民の院内集会」が衆議院第一議員会館で行われました。私も特別スピーカーとして出席しましたが、この集会で驚くべきことが判明しましたので、急ぎご報告したいと思います。

(中略)
 そう、東電だけでなく、国の実務責任者も「燃料棒の消火に水を使うことが許されない」という重要な事実を知らなかったのです。
 注目を集めたのは、菅直人前首相の政策秘書・松田光世氏の発言でした。松田氏は、ガンダーセン氏が述べた消火のための化学薬剤に関して、こんな趣旨のことを述べました。
「福島第一原発の事故の直後、日本政府はアメリカ軍にこの消火薬剤を送ってもらっている。だが、東電にはまだ渡していない。東電には管理能力がないと判断しているので、消火薬剤の到着を知らせてもいない。
 もし、4号機の燃料棒に火がつくような事態が起きたら、米軍機が山形空港から飛び立って、4号機の燃料プールに消火薬剤を投げ入れることができるようになっている。だが、そのことにさえ反対する国会議員の勢力がある」
 思わぬ情報に身を乗り出して聞く会場に向かって、松田氏は続けました。
 「4号機の建屋の下の、南側3分の1くらいのところに活断層がある。核燃料プールはその上にある。大震災のとき、4号機は80㎝も右に傾いた。そこに東電は40本の棒を打ちこんで補強した。
 しかし、60㎝沈んだところや40㎝沈んだところもあって、地面はあちこちが凸凹になっている。それを東電の報告書では『平均58㎝の地盤沈下』と言っているが、いったい何のことやら、実態を反映していない。
 コンクリートもひびが入ったので、底が割れないようにさらに厚くしたが、鉄筋も入れず、ただ厚くしただけ。だから横揺れには弱い。そういうことを、国と東電は正直にすべて言うべきではないか。データを公開すべきだ。
 現行の国の基準では、活断層の上に原子炉を建ててはならないことになっている。しかし、その建てられないところに4号機の建屋がある。原子力安全・保安院ですら、『4号機の建屋が震度6強に耐えられるかどうかは言えない』と言っている。情報をもっと世の中に真面目に公表してほしい」
 この松田氏の発言にショックを受けた議場からは、さまざまな発言が飛び出しました。中でも、
「燃料棒に火がついたら、私たちが受ける被害は広島の原爆の数千倍になる」
「震度6強を上回る地震が起こる可能性は十分にある。スマトラでは、マグニチュード9の地震の起きた18ヵ月後に、マグニチュード8.4の余震があった」
といった発言が印象に残りました。

なぜ、今すぐ燃料棒を取り出さないのか
(後略)』

2012.08.31 Friday

メモ:『ヤマトシジミの奇形は原発の影響によるものなのか』

メモ:『ヤマトシジミの奇形は原発の影響によるものなのか』
むしブロ+ http://d.hatena.ne.jp/horikawad/20120813/1344814974
『(略)今回のヤマトシジミの奇形に関する研究報告には、以上のように多くの問題点や不明瞭な部分が見られる。この論文での結果や主張をそのまま鵜呑みにしない方が良いだろう。』

2012.08.06 Monday

広島の日に思うとです

ご紹介いただきました、ありがとうございました。
『桜と予言と詩人 神隠しされた街 若松丈太郎 アーサー・ビナード』

視点・論点 「それぞれの福島(1) 桜と予言と詩人」
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/109863.html
福島第一原発事故
http://ima-ikiteiruhushigi.cocolog-nifty.com/nature/2011/03/post-d564.html



 事故8年のちの旧プリピャチ市に
  私たちは入った

  亀裂がはいったペーヴメントの
  亀裂をひろげて雑草がたけだけしい
  ツバメが飛んでいる
  ハトが胸をふくらませている
  チョウが草花に羽をやすめている
  ハエがおちつきなく動いている
  蚊柱が回転している
  街路樹の葉が風に身をゆだねている

2012.06.02 Saturday

報道:『枝野官房長官(当時)「メルトダウン・放射能漏れ分かり切ったことで言わなかった」』

結局、こういうヒトや政府だったのか。
ダメ過ぎて、救うところがどこにも無いとはこのことか。
まさか、こんなに駄目だとは思わなかった。
****************************************
(「痛いニュース」より)
報道:『枝野官房長官(当時)「メルトダウン・放射能漏れ分かり切ったことで言わなかった」』
http://www.j-cast.com/tv/2012/05/28133476.html?p=all

『福島第1原発事故当時に官房長官だった枝野経産相が27日(2012年5月)、事故の検証を進めている国会の国会事故調査委員会に参考人として呼ばれ、聴取に応じた。菅政権のスポークスマンの役割を担っていた枝野だが、この日に問われたのはその情報発信のあり方だった。
やっと認めたのは3か月後に海外向け
メルトダウンを政府が認めたのは国際原子力機構に報告した昨年6月で、事故から3か月もたっていた。公表の大幅な遅れについて問われると、枝野は「炉心損傷の可能性については、3月13日午前中の記者会見の段階で、『十分可能性があるということで、その想定のもとに対応しております』と申しあげた」と開き直った。
委員から「多くの国民は、6月までそんなに深刻な事故とは感じていなかったのではないか」と突っ込まれると、「もしかすると思い込みを反省しなければならない側面があるのかなと…」とまるで他人事のような答えだ。さらに、「炉心も溶けているし、漏れているのはあまりにも大前提で、改めて申し上げる機会がなかった」と驚きの発言が続く。
首相官邸「情報疎外」のまま今度は原発再稼働
傍聴した女性は「責任ある立場として、あのような言い方しかできないのは疑問だ」と不信を募らせた。青木理(元共同通信記者)も枝野の無責任ぶりに怒る。
「委員会を見ていて非常に腹立たしかった。番組VTRには出てこなかったが、枝野さんは首相官邸に報告されていないことが、東電や原子力安全・保安院の会見で明らかになっていたことに怒りをぶちまけていたが、こんな状況のまま、検証もしないで東電は原発の再稼動をすると言っている。こんな会社にやらせて大丈夫かという根本問題が残っている」
事故調査委は28日には事故当時の菅首相が参考人として呼ばれ聴取を受けるが、どんな『驚き発言』が飛びしてくるか。』
(「痛いニュース」より)枝野官房長官(当時)「メルトダウンにはならない見通し会見」

2012.03.20 Tuesday

メモ:報道『がれき受け入れ、徳島県の説明が核心を突く』

『がれき受け入れ、徳島県の説明が核心を突く』
http://news.livedoor.com/article/detail/6379732/

環境省が、震災被災地のガレキ処理について、全国の自治体に協力を呼び掛けているが、反対意見を表明している徳島県が、ユーザーから寄せられた意見に対して、明確な反対理由を述べている。

 質問は「60歳 男性」から寄せられ、「徳島県の市民は、自分だけ良ければいいって言う人間ばっかりなのか。声を大にして正義を叫ぶ人間はいないのか? 情け無い君たち東京を見習え」などというもの。

 これに対しての徳島県の答えは次のようなもの(一部省略)。

 【環境整備課からの回答】
 徳島県や県内のいくつかの市町村は,協力できる部分は協力したいという思いで,国に対し協力する姿勢を表明しておりました。

 しかしながら,現行の法体制で想定していなかった放射能を帯びた震災がれきも発生していることから、その処理について、国においては1キロあたり8000ベクレルまでは全国において埋立処分できるといたしました。(なお、徳島県においては,放射能を帯びた震災がれきは,国の責任で、国において処理すべきであると政策提言しております。)

 放射性物質については、封じ込め、拡散させないことが原則であり、その観点から、東日本大震災前は、IAEAの国際的な基準に基づき、放射性セシウム濃度が1キロあたり100ベクレルを超える場合は、特別な管理下に置かれ、低レベル放射性廃棄物処分場に封じ込めてきました。(クリアランス制度)

 ところが、国においては、東日本大震災後、当初、福島県内限定の基準として出された8000ベクレル(従来の基準の80倍)を、その十分な説明も根拠の明示もないまま、広域処理の基準にも転用いたしました。(したがって、現在、原子力発電所の事業所内から出た廃棄物は、100ベクレルを超えれば、低レベル放射性廃棄物処分場で厳格に管理されているのに、事業所の外では、8000ベクレルまで、東京都をはじめとする東日本では埋立処分されております)

 ひとつ、お考えいただきたいのは、この8000ベクレルという水準は国際的には低レベル放射性廃棄物として、厳格に管理されているということです。

 例えばフランスやドイツでは、低レベル放射性廃棄物処分場は、国内に1カ所だけであり、しかも鉱山の跡地など、放射性セシウム等が水に溶出して外部にでないように、地下水と接触しないように、注意深く保管されています。

 また、群馬県伊勢崎市の処分場では1キロ当たり1800ベクレルという国の基準より、大幅に低い焼却灰を埋め立てていたにもかかわらず、大雨により放射性セシウムが水に溶け出し、排水基準を超えたという報道がございました。

 県民の安心・安全を何より重視しなければならないことから、一度、生活環境上に流出すれば、大きな影響のある放射性物質を含むがれきについて、十分な検討もなく受け入れることは難しいと考えております。


 余りにも当たり前すぎる回答だが、環境省から提示された8000ベクレルの基準の理由は説明がないまま。放射能は封じ込めが原則であり、それを地方自治体に押し付けるのは酷でしかない。徳島県の説明は、ひじょうに核心を突いたものだ。

2012.03.11 Sunday

震災1周年、合掌

14:45頃にらじるらじるを開いて、ラジオを聞き、黙祷の時間に家人と黙祷をする。
去年のこの時は、文献調査の作業で某役所の出先事務所の書庫の一角で大量の観測日報をめくっていた。
三時過ぎかに、大津波警報の防災無線かなにかが聞こえたが、四国の海から遠いこの場所には縁遠く、作業に追われひたすらページをめくっていた。
夕方、作業終了の挨拶をしに事務所を顔を出すと、職員の多くが呆然とテレビの津波の中継映像を見ていた。
状況がわからない私は、そそくさと事務的な挨拶をして退出し、報告の電話もつながらぬ帰りのクルマで、震災の規模の大きさを知り、驚いたのだった。

数日後の夕方、原発の建屋が立て続けに吹き飛んだニュース、やや髪が長かったNHKの山崎防災担当記者の直後の血相を変えた厳しい口調を見たあとに、迫ってきたノーフューチャーな感覚。
幸い、私は1年後ものんきにボンクラに暮らしていられるわけなのですが、あのときの気持を忘れずに生活していきたいと思うのでした。

被害にあわれたみなさん、被災地のみなさん、大切なひとを抱えた皆さんが安楽に暮らせる日が来るよう、願っています。

2011.10.31 Monday

報道:『園田政務官、福島第1原発の処理水を飲み干す「パフォーマンスではない!」』

ネット報道を見て唖然。
一瞬だけも、この数十年で、はたして日本の社会とか政府と企業連合とかは少しは進歩したのかと、疑わしい気持ちになった。
非常に信じられない神経。
この政務官のかたは水俣病の際の同様のパフォーマンスで多くの人を騙した過去をご存じないのか。
私は、正直、このパフォーマンスを過去に企業や行政、技術者が市政の人々を平気で偽ったり騙したり、裏切り、使い捨てようとしていたことと切り離してイメージすることができない。
政務官はそういう現代史の陰の部分が原発問題と重なることまで想像できないのだろうか。
その裏切りと罪の深さは、テレビでもやっていたし、有名なのだと思うのだけど。
(以前の石原都知事のパフォーマンスは、もともと飲用水のものだから、ちょっと違うように思っています。)
昔も今も、企業が社会的責任を果たせないのならば、退場すべきであろう。
社会的責務を果たすつもりがないなら、それは、ただの「悪の結社」でしかない。
ダムの水に毒を入れようとして、ヒーローに叩きのめされる、アレですよ。
コスプレ自警団が制裁に暗躍するようになっても困るのだけども、いや、ホント東電さんと政府はきちんと腹くくったほうがいいんじゃないでしょうか、
など思う秋の夜です。
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報道:
『園田政務官、福島第1原発の処理水を飲み干す「パフォーマンスではない!」』
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111031-00000570-san-soci
『内閣府の園田康博政務官は31日、政府・東京電力の統合対策室の合同会見で、福島第1原発5、6号機から出た低濃度汚染水を浄化した処理水について、「安全が確認されている」と述べ、報道陣の前で処理水をコップに入れて一気に飲み干した。(以下略)』

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参考
『あおば法律事務所「ノーモア ミナマタ サイクレーター[改訂版]」』
http://www.aoba-kumamoto.jp/nomore_minamata/mamechisiki/mame_saiku.html
『1958(昭和33)年9月、チッソが,アセトアルデヒド製造工程からの排水路を水俣湾側の百間排水口から、水俣川河口にある八幡プールを経て水俣川に排出するように排水路を変更した。すると水俣川河口付近で魚を捕って食べていた人の中に水俣病患者が発生し、その発生地域が不知火海一円に拡大した。このため通産省(当時)は,1959(昭和34)年10月21日、チッソに対し、水俣川への排水を中止し、浄化槽を設置するよう行政指導した。
 チッソは、この通産省の指導を受け、八幡プールへの排水を停止するとともに、浄化槽として「サイクレーター」なるものを設置した。チッソは、このサイクレーターによって工場廃水は人が飲んでも健康に影響はないほどに浄化されると大宣伝をした。チッソの吉岡社長(当時)は,熊本県知事らを招いたサイクレーターの披露会で、サイクレーターを通した廃水と称した水を飲んで見せた。しかし実際は、ただの水であり、サイクレーターを通した廃水などではなかった。チッソは、そこまでして世間を欺いて見せたのである。
 そもそもこのサイクレーターという装置は、排水中のカーバイト残渣を取り出すだけのものであり、水中に溶けた有機水銀を除去する能力は全くなかった。それだけでなく、実は、アセトアルデヒド工場から排出される廃水は、このサイクレーターすら通されていなかったことが後に判明している。つまりチッソは、行政指導に従った浄化槽を設置したというポーズを取り、その結果廃水はきれいになったと世間を欺いた上で、未処理のままの廃水を、依然と同様に、再び百間排水口から水俣湾に放流しつづけたのである。
 ちなみに,この1959(昭和34)年10月には、チッソが独自に行っていたネコ実験において、アセトアルデヒド工場廃水を餌にかけて与えたネコ400号がネコ水俣病を発症しており、チッソは、水俣病の原因が自社のアセトアルデヒド製造工程からの廃水であることを知っていたのである。その上で、サイクレーターというごまかしを仕掛けてアセトアルデヒドの製造・増産を続け、住民の命や健康よりも、自社の利益追求を優先したのである。
 ところで、通産省が浄化槽の設置をチッソに要請したのは、水俣病患者発生地域拡大の現状を問題視した厚生省(当時)からの要請がなされたからであった。ただ、その要請の真の意味は、公害被害の拡大防止ではなかった。この点について、水俣病第三次訴訟の中で、当時の厚生省の担当者であった実川渉証人は、次のように証言している。

 この問答から明らかなのは、厚生省も水俣病の発生を防止しようというような観点から浄化槽設置を要請したのではなく、チッソの排水は浄化槽を通して流すようにしたから安全になった、というイメージを社会にアピールし、チッソ排水が水俣病の原因ではないかという社会的な不安の沈静化あるいは追及の矛先を逸らそうとしたということなのである。これは、国がチッソと一緒になって世間を欺き、原因を隠蔽あるいは原因究明を妨害しつつ、水俣病患者が次々と発生し、倒れて行くのを放置したことを意味する。
以上』

*********************************************************************
『第3章 水俣病の原因究明及び発生源確定の過程(その2) -昭和 34(1959)年 7 月の熊本大学医学部研究班の有機水銀説発表から見舞金契約を経て、昭和 40(1965)年 5 月の新潟水俣病公式発表までの動き-』
http://www.nimd.go.jp/syakai/webversion/pdfversion/042063_3shou.pdf
(一部引用)
『イ.サイクレーター設置の社会的影響
同年 11月10日、秋山通産省軽工業局長は、チッソに対して排水処理施設の早期設置 と原因究明への協力を通知し、翌年 3 月完成予定だったサイクレーターは、着工からわ ずか 3 ヶ月後の昭和 34(1959)年 12 月 19 日に竣工した。
見舞金契約が調印される直前の同年 12月24日に盛大に行われた完工式では、福岡通 産局長や熊本県知事を招き、吉岡喜一チッソ社長が「処理水」と称する水を飲んでみせ るというパフォーマンスまで演じ、サイクレーターの完成で排水処理は完璧なものにな ったと公言した。
ところが、昭和 35(1960)年初めに湯堂で新たな水俣病患者の発生が報告され、一部 の新聞にサイクレーターの効果に疑問が出された。すると、チッソは、入鹿山且朗教授 に、処理前の排水とサイクレーターで処理後の排水と書き分けられた試料を持ってきて、 水銀測定を依頼した。入鹿山教授は試料の確認をせずそれぞれの水銀量が 20ppm、0ppm であったと報告し、その後はサイクレーターの除去効果を信じて、後の論文でもサイク レーターの水銀除去効果を繰り返し述べた。
昭和 60(1985)年の関西訴訟(一審)の証人尋問で明らかになったことであるが、施 工した水処理会社の設計担当者井出哲夫氏によると、サイクレーターの一番の機能は濁 った排水を見た目に綺麗にすることであって、水銀の除去機能は要求されていなかった のである。そもそもチッソが要求した設計仕様は、リン酸、硫酸、重油ガス化、カーバ イト密閉炉 4 設備の排水を処理し、濁度 50 度以下、色度 50 度以下、pH 8~9 を保証する ものであり、アセトアルデヒドや塩化ビニールなど水銀を使う工程の排水を処理するこ とにはなっていなかった。結果的には、けん濁物質に吸着された一部の水銀は除去され たが、水に溶けたメチル水銀化合物などは除去する設計にはなっていなかった。
完工式でチッソ社長が「処理水」を飲んで見せたことを聞いた設計技術者は、あたか も飲み水を作るかのような錯覚を与えると思い苦々しく感じたという。
実際、チッソは、試運転中に水銀の溶けた排水をサイクレーターに流したところ、除 去効果の無いことがわかったので、アセトアルデヒド製造工程の排水は、八幡プールに 送り、サイクレーターには流さなかった。
しかし、サイクレーターの完成によって排水は安全になったというチッソの宣伝の影 響は大きく、市民はもちろん、研究者もマスコミもこれで水俣病の発生は終わったと思 いこんでしまった。寺本廣作熊本県知事も、手記の中で、「サイクレーターが動き始める ともう患者はでなくなると思った。...何年かのちになって、初めてサイクレーターが有 機水銀を取り除くことには何の役にも立たぬ装置であったことを知った。不明というの ほかはない。」と述懐している。
なお、昭和 35(1960)年2月16及び17日に、水俣病の調査のため再び水俣を訪れた カーランド博士は、NIH(米国・国立公衆衛生研究所)で行った追試の結果が熊本大学医 学部研究班の有機水銀説を支持するものであったと公表するとともに、チッソの浄化装 置にふれて、サイクレーターでは有毒物質は取り除かれないと指摘している。』

2011.05.23 Monday

「参議院行政監視 委員会」


雨で寒い一日。
梅雨入りか?
片付け、書類整理、歯医者、通院、雑誌バーダーと改訂コウモリハンドブックとコミック「スティールボールラン」最新巻を読み、粘土作業で夜になる。
粘土作業の合間に家人が勧める【(USTREAM)動画放映中 NHKが中継しない「参議院行政監視 委員会」 】を観る。
面白い。
http://www.ustream.tv/recorded/14906087



肌寒い。

2011.04.28 Thursday

ニュース番組アンカー「福島第一原発 青山が見た事故現場は...」

youtubeより
関西の夕方のニュース番組で福島第一原発の構内取材&原発所長インタビュー。
原発の最前線の現場の様子がわかります。






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